絶望と希望

私は30歳から5年日記をつけています。相方にも誘ったら、意外にのってきたので、それぞれ毎日書いています。
なぜ、5年日記を書こと思ったかというと、30は区切りがよかったということと、30からの5年間は、妊娠、出産、育児とめまぐるしく変化にとんだものになるだろうと思ったからです。
気づけば、今年は日記を書き始めてもう4年目!
その間何があったかというと、30歳で不妊治療をはじめ、仕事のストレスからカウンセリングに通い、その1年後にはメンタルクリニックに通うようになり、不妊治療とメンタルクリニックにはいまだに通っているというありさま!暗い三十路日記だわ。


不妊治療は33歳までと決めていました。
相方には、治療過程で私が落ち込んで「もう治療をやめたい」とかいうかもしれないけど、33歳になるまでは絶対に励ましてほしいと頼みました。私の気持ちを支えてくれるものがほしかったから。でも、相方はあんまり励ましてくれませんでした。
相方の検査の話も幾度となくしたけれど、今年の11月に不妊専門の病院で検査するまで、自分から検査にいくとは言ってくれませんでした。
女の人と男の人はだいぶ考え方が違うんだと思いました。私が赤い血を見たときに味わう挫折感は絶対にわからないと思うのです。
でも、決定的に傷ついたのは、体外受精の話をしたときでした。

治療を始めたばかりのころに相方に体外受精の話をしたら、
体外受精って、先生が適当に選んだ精子を先生の手によって受精するってことでしょ。もし、子供が成長して、自分は神によって創造されたものではなく、1人間によって作られたものだと知ったら、自分の存在自体を否定してしまうんじゃないか。」
というようなことを言ったのです。しかもクリスチャン関連の冊子に生命に関することみたいな項目があって、それを読んでよ、という一方的な価値観の押し付け!相方はクリスチャンなんだけど、宗教は大切だし、私も冷静な状態ならわかるのです。でも、不安で絶望的だった私はすごーく傷ついた。
子供に体外受精して生まれたなんていわなければいいじゃん!それくらいの罪を背負って生きていく覚悟くらい持てないのかよ!という気持ちになりました。今考えれば、先生の手によるのは顕微鏡受精だし。

そんなこんなで、体外受精は絶対にしないと決めていていました。
体外授精をしなくちゃ子供ができないなら、ほかの生き方を選ぼう。どんどん自分磨きして、娯楽三昧で、年を重ねるごとにきれいになって、育児をしている人がうらやむような生活をしてみよう!私が育児ができないように、育児をしている人ができない生活を謳歌しなければならぬ。悲しんでひがんで絶望して生きるなんて嫌だもの。


これまでは、ずっとタイミング法だったけど、12月に人工授精を初めてしてみたのです。
人工授精も実のところタイミング法と妊娠率は変わらないそうですが、今回はまだ赤い血を見ていないのです。しかも、昨日妊娠検査薬を自分で試したところ、陽性反応でした。
明日、病院に行ってきます。これまで、何度も落ち込んできたから期待しないほうがいいなと思いながら、希望を抱いているのです。