ハロパ

 娘は猫になって、初のハロウィンパーティーに行ってきました。
 本当は鼻とひげをかきたかったけど断固拒否されたのですっぴんで。


 娘は一寸代わった習い事をしています。それはピアノとか習字とか何かをできるように習うものではなく「生きる力」をはぐくむという理念でやっているものです。だから「クレヨン遊びで筆圧を見る」とか「運動遊びで運動能力を見る」とか「洗濯ごっこで水遊びを楽しむ」とか、毎回やることは違うけれど、その都度目的があって、生活習慣やしつけをしてくれるものです。
 すごくよく練られていて、子どもの様子もよく見てくれて、私はとっても気に入っているのに、うちの娘、かれこれ6ヶ月になるのに未だに泣いていくのを嫌がっています。といっても、その場に行って私と離れればケロッと泣き止んで、普通に楽しく過ごしているみたいですが。
 さらっと書くと何てことないことに思えるけど、これがとっても心配なのです。
 子どものために役立ちそうと大人が思えることが子どもにとって本当によいのかよくわからないからです。
 たとえばスパルタ教育の塾があったとして「あそこで厳しく鍛えてもらったから今の自分がある」と思う子もいるかもしれない一方で「恐怖心で植えつけられた知識など生かす方法を知らない」と思う子もいるかもしれない。
 どんなにすばらしい人がその塾から輩出されていたとしても、自分の子どもにとってその方法では自分の力が発揮されないのでは意味がない。というよりマイナスにさえなりうる。
 だから、本当に嫌ならやめさせるべきだとも思うが、私がなんでも手を出して娘の生きる力を抜き取っている不安もあるので、続けるべきではないかと悩んでいる。

母は娘の人生を支配する なぜ「母殺し」は難しいのか (NHKブックス)

母は娘の人生を支配する なぜ「母殺し」は難しいのか (NHKブックス)

 この本、すごく面白い。いろいろな小説や漫画などが引用されていて、それらに関する考察が深くて、どの本も読んでみたくなります。母娘関係の難しさに納得。自己犠牲的、献身的な愛で私も知らず知らずの間に娘を支配しているのかも。やはり母娘は父息子なんかの関係よりずっと複雑であることがわかる。この人はジェンダーを肯定していてフェミニズムにも一定の親近感を抱いているということも読む上でポイント。

 私が個人的に印象に残った文を引用。
『残念ながら、世の父親の大半は、家族問題からの退避場所として、仕事と多忙さをフルに活用しています。彼らの多くは「働いて喰わせてやっている」の一言で家庭内での役割を免責されていると確信していますが、その代償に徹底した軽蔑と疎外を支払わされていることには気づこうとしません。』
 なぜここかといえば、夫に私の友人の夫婦喧嘩の話をしたときまさに「誰に食わせてもらっていると思ってるの」ということをブッこいたからです。今時の子育て世代の男たちはこういう考えをしているのは少数派かもしれない。夫も自分はそういう考えではないと思っているに違いない。でも、他人の話の中で思わず口走ったこの言葉に、ジェンダーの根深さを思わずにはいられない。