不幸思考のフェミニストの嘆き

 家事をいかに端折るかは、時間に終われる生活をしていれば、当然考えることで。
 朝5時に起きて簡単に掃除洗濯、食事の支度、娘を起こす前に5分残るか、10分残るか、そこが私の自由時間なので、洗濯物を干すとき、夫の下着がひっくり返っているのが、気に入らなかったわけです。
 衣類を傷めないようにと、裏干しする派の丁寧妻な妻ならありがたいかもしれないけれど、私には面倒な作業だったので、結婚当初、そのことを夫に言ったこともありましたが、すぐに元に戻ってしまったので、私はあきらめていました。しかし、仕事に家事に育児が加わった今、やっぱり何とかしてもらわなければいけないときが来た訳です。私的には。
 そして、思い出したのが、結婚当初、何気なく職場でこの話をしたときに、年配の人が「分かるわ〜、私もやめて欲しくて、言っても聞かないから、そのまま干して、たたんでやったのよ。そうしたら、直したわ。」と笑っていたことでした。
 私はそれを無言で開始し、夫のリアクションを見たわけですが、おどろくかな、反応なしでした。そこで、私はようやく気づいたわけです。ああ、そうか、夫はなんとも思わないんだ。夫にとってはさも無いことだから、私が苦痛だということがわからないんだと。
 ある日、珍しく朝の洗濯物を干すのを夫が手伝ってきたので、私は「最近下着を裏のまま干しているんだけど、気づかなかった?」と聞いたら、ああ、と鈍い反応をしたので、私が裏のまま脱がれると嫌だということを言ったら「通じない」と言われてしまいました。なので、「通じないよね。」と私も納得したところ、「なんで、『しょうがないな〜』って思って干せないの?」というびっくり発言が飛び出しました。そして、もっとも私を傷つける言葉をのたまいました。


「あなたは常に誰かを攻撃の対象にしていないといられない。自分がその攻撃の対象でいるのはいいけれど、それが子どもに向かったらどうするのか」


私は、もう限界で、「それは困る」といって、ごめんなさいと謝りました。
夫が私の性格として決め付けている私というものは、そうやって、常に誰かに攻撃性を向けている人間であり、常に自分は不幸と思っている人間であるわけです。これ、言われたの2回目で、ああ、またかと心底傷つきました。そういう見方をしているということが、私という人間の尊厳を傷つけているということに気づいてもらいたい。


どうして、私が「しょうがないな〜」と思いながら洗濯を干さなければならないのか。どうして、夫が「いつも洗濯を干してくれてありがとう」という気持ちで干す人のことを考えて下着を直すことができないのか。意味分からん。通じない。


しかも、この出来事があった日に新聞に載っていたのが、「トイレ掃除は女性がやるものというわけではないけれど」という前置きがあるものの、立って用を済ます夫にどのように言えばそれを直してもらえるか、みたいな記事だったのです。私の住む地方紙は、全国紙に先駆けて、女性記者が女性目線の記事を書いて特集していて、それは地方紙にはとても画期的だと思って読んでいたのですが、この日にこんな記事読んで、憂鬱になりました。女性記者が書くなら、「どうして男はトイレ掃除をしないのか」でいいじゃん。夫は自分でトイレを汚しても、決して掃除をしません。失礼極まりないことです。私は家政婦じゃない。


個人的なことは政治的なこと。って言葉あったなー。


ところで、
私は最近娘とうまくいっていません。叱ってばかり。娘のわがままがヒートアップしてまったく私の言うことを聞かないのでストレスがたまるいっぽう。夫の言葉の呪縛にかかれば、私は自分の性格が災いして、子どもに攻撃を向けてしまっているということになります。
イラつく原因は、私の育った環境や幼少期も関係するけれど、娘と私の組み合わせは変えることができないので、この組み合わせて築ける人間関係を一生懸命良くなるようにしていくしかないのです。
 「育児」 「4歳」 と検索しようとすると、「イライラ」と勝手にでてきます。多くの女たちが苦しんで「育児 4歳 イライラ」を検索しているのです。でも。4歳、5歳を育てているときにぶつかる壁であっても、夫には私の性格のせいにされてしまいそうです。そんなに怒って、子どもに攻撃性を向けるとは何たるや!君はそうやっていつも攻撃を向けないと居られないんだ!と。


 「育児 4歳 イライラ」を乗り越えるためには、夫の協力が必要不可欠だろうに。夫は、夜中まで仕事やら何やらで、朝起きてきません。朝ごはんで起きるときもあれば、起きないときもあります。私は7時15分には家をでるのですが、そのとき子どもが一人テレビを見ながら言ってらっしゃいをされるのがとてもつらい。夫が朝早く起きても、自室のパソコンに向かっていて、結局娘が一人テレビを見て言ってらっしゃいというときもあります。大人ならそれぞれに時間を有効に使うということでいいけど、娘は4歳なのだよ。
 でも、私が仕事を続けるために、自分は転職して犠牲にあっているという意識が少なからずあるか、無意識レベルではあると思うので、仕事やその他宗教行事についても私としては文句を一切言うことはできないのです。

 保育園の送迎もしてくれて、私が遅いときは食事やお風呂にも入れてくれて、それで不満を言ったら、私は感謝の心を持つことができない不幸人間でしょうか。でも、私は朝できる限りの家事をして、早く帰ればすべて家事をやっています。私が帰ってくると夫は何もしないので、私はずーっと働き蜂です。保育園の送迎をする夫はほめられるに値し、母親である私がやっていることは当たり前になってしまうという不思議。